DMATとは

皆さん、こんにちは。当院は災害拠点病院(*1)かつDMAT指定医療機関(*2)で、私はDMAT隊員の一人です。
DMAT(ディーマット)とは、災害派遣医療チーム(Disaster Medical Assistance Team)の頭文字の略称で、大規模災害や多数の傷病者が発生した事故などの現場に急性期から活動できる機動性を持つ専門的な訓練を受けた医療チームと定義されています(*3)。当院のDMATは、外科医師の長尾先生と佐久間先生, 腎臓内科の医師である私、 DMAT資格を有する看護師とロジスティクス (医師・看護師以外の医療職及び事務職員)から構成し、大規模災害発生時は現場に派遣され、地域被災時には当院の災害医療体制を補佐する役割を担います。そしてDMAT指定医療機関は、急性期入院医療に関する包括支払い方式(DPC:Diagnosis Procedure Combination)で、診療報酬の係数が上がるため病院の収益に関わっており、このため病院としてもDMATの活動を支援する体制を取ることが出来ます。このためDMATは近年の重要ワードである「持続可能な地域医療提供体制の確保」への一端を担っていると言えるでしょう。
(*1)平成8年に当時の厚生省の発令によって定められた「災害時における初期救急医療体制の充実強化を図るための医療機関」
(*2)DMAT派遣に協力する意志を持ち、厚生労働省又は都道府県に指定された医療機関。日本DMAT活動要領 – 厚生労働省より(平成22年3月31日改訂)
(*3) 平成13年度厚生科学特別研究「日本における災害時派遣医療チーム(DMAT)の標準化に関する研究」報告書

私がDMAT隊員になった経緯

2011年3月11日東日本大震災が発生、大津波や火災で多くの方が被害を受けました。さらに福島第一原発のメルトダウンは世界に衝撃を与え、一部の外国人は日本から退避しました。被災地では医療提供体制が逼迫、平穏だった日本に危機が訪れたのです。この時、医療ボランティアの募集があり私は有志から誘いを受けました。その時私はDMATではなかったのですが、若かった当時の選択肢は「安全な場所から見守る」「被災地の医療支援に赴く」のどちらかで、蛮勇ながら後者を選び、原発事故後の不安を感じつつも休日を利用し被災地へ数回行きました。道中の東北自動車道で、医療物資を満載した窮屈な我々の車両から外に目を向けると、深夜でも自衛隊や医療の車両があちこちにみられ、支援する人々の意気込みに感動を覚えました。被災地に到着すると総合体育館に緊急本部があり、早朝に医療チームが参集しブリーフィングを行い各拠点に向かいます。そこには全国から来たDMATがいて存在を知りました。

医療ボランティアとDMATの違いは、ボランティアは自己の責任と負担で活動を行いますが、DMATは公的支援で組織化した活動ができることです。ボランティアとしての医療活動は派手ではありませんが、感冒, 血圧変動, 頭痛, めまい, 食思不振, 胃腸障害, 腹痛, 関節痛, 不安や不眠. 外傷を訴える患者さんに対応し、私は緊急救護所を当直体制で支援することで、被災地の急性期病院の負担軽減に努めました。現地の患者さんを始め医療者や様々な方との交流は貴重な体験でした。そして原発事故で関東エリアまで被害が及ぶ懸念がありましたが、名高い吉田所長が指揮する必死の注水作業等により収束に向かい、多くの方の努力により日本は原発危機を乗り越えました。
その経験を通して、災害時に不可欠な透析治療に携わる理由からDMATとなる機会を得て、2013年に当院で初めて5名が隊員登録し、当院はDMAT指定医療機関となりました。

地震の国

近年の東京は幸いにも大災害は起きていませんが、私たちは紛れもなく地震の国に住んでいます。伝説の警句「天災は忘れた頃に来る」を遺した物理学者の寺田寅彦は「(災害は)最後通牒も何もなしに突然来襲するのである。」「科学は進歩するが人間は昔も今も同じである。」とも言っており、慢心せず災害は来るものとして、自身の身は自分で守る「備え」が重要です。
利便性に頼った超高層住宅が立ち並ぶ都市の災害は東日本大震災の時とは違った、また新たな問題を引き起こすはずです。最近はDMATの役割が、「備え」として災害訓練や感染症対応まで拡がっています。大きな役割を任されていますが、何も起こらずとも持続する緊張はストレスであり、支え合いや世代交代の必要を感じます。災害医療は多面的な側面があり、医師のみならず多くの職種や才能を適材適所に活かすことも大切です。さて、次に2020年にダイアモンド・プリンセス号で発生した新型コロナウイルス感染症に対し、ロジスティクスとして敢然と立ち向かった当院DMATの活躍をご紹介致します。

2020年にダイアモンド・プリンセス号で発生した新型コロナウイルス感染症に対する活動

活動に参加した江口さん(左)、佐藤さん(右)

2019年に中国武漢で発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、全世界に衝撃を与えました。日本国内においては2020年1月に初の感染者が確認され、この未知のウイルスに対する不安感、恐怖感が国内全体に蔓延している状況でした。そんな中、同年2月初旬、大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号での事件が起こりました。3,711人の乗員乗客を載せたこの大型船の中で、COVID-19の集団感染が発生、合計712人が罹患するという凄惨な状況が現実に起きたのです。
政府、自治体、医療機関が対応に追われる中、この「災害」に対し、DMATにも派遣要請が発出され、当院からも2名の隊員が後方支援(ロジスティック)として出動しました。
2名は、神奈川県庁内に置かれた対策本部において、全国から参集した他院のDMATとともに、「薬剤管理」を主とした後方支援に従事しました。使用済医薬品の搬出・廃棄、地域薬局等からの薬剤確保、行政や他医療機関と連携・調整等、任務の内容は幅広いものでした。
現場では様々な情報が飛び交い、刻々と状況が変わりました。未知のウイルスに対する緊張感の中、常に情報にアンテナを張り、関係機関との調整等に気を配らねばなりませんでした。まさに「災害」の最前線に直面する日々でした。
この経験を通じて、「災害」は誰もが予測しないタイミングで、しかし確実に起こること、そして不幸にもそれが起こった際、平時からの備えや心構えがいかに重要であるかを再認識しました。災害は必ず起こります。「明日、災害が起こるかもしれない…」そんな緊張感を心の片隅に持って頂き、日頃から皆さんも災害対策に目を向けてみてください。